2017-12-10

富岡八幡宮から始まる 伊能忠敬足跡たどる

『密偵・小房の粂八が亭主におさまっている、深川石島町の船宿「鶴や」で昼餉をすませた長谷川平蔵は、久しぶりで富岡八幡宮へ参詣しようとおもいたった。
「それでは、私がお送りいたしましょう」
粂八がみずから舟を出し、深川を縦横にめぐる堀川づたいに、永代寺門前町の船着場へ舟を着けた。あたたかい日和だし、八幡宮門前のにぎわいは格別のものであった。』

池波正太郎の日本の時代小説「鬼平犯科帳」に富岡八幡宮がしばしば登場します。
この場所で悲惨な事件が起こると思っていませんでした。

7年前、諸国漫遊の旅を祈願するために、最近話題となった場所「富岡八幡宮」を訪れていました。近くにあった深川めしの食堂で舌鼓を打ったことを覚えていますが。

富岡八幡宮の境内にある銅像は伊能忠敬。長谷川平蔵ではありません(笑)

伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年(平成13年)に当社境内に銅像が建立されました。

振り返ると、あっしも伊能忠敬の足跡をたどっていました。

1801(享和元)年9月23日釜石市唐丹(かまいしし・とうに)で、大石出河岸を起点に海上引縄を以って真北の海岸佛ヶ崎まで測量。翌24日夜、本郷に於いて緯度を観測『北極出地丗九度壱拾弐分』とした、古老の口碑並びに調査の結果としてこの碑を建立しています。

10月5日には、岩手県普代村で全国測量の旅路中に黒崎に寄り、晴れた夜空の中、星の観測を行い一晩宿泊後、野田村へと北上していました。

たまたま訪れた場所に、今でも残る星座石や記念碑。
これも、富岡八幡宮の縁でしょうか・・・(笑)



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2 件のコメント:

  1. 悲劇でしたね。神様の場所で神に仕える方々の不幸。何故なのか?同じ家族内で…家族だから深いのでしょうか。八幡宮がまた再興される事を願いますね。歴史ある場所なのだから。合掌。

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    1. 神主さんも、人間だったと改めて感じました。どこの世も、いろいろありますね・・・。

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