石畳の向こうにモニュメントがありました。いつも、路面電車で通り過ぎるだけですが、広島港(宇品)の2つ前の電停からちょいとブラリ散歩。
戦時で必要な兵隊の食糧や軍馬の飼料を調達、補給するために設置された「広島陸軍糧秣支廠」。
日清戦争では、当時山陽鉄道の西端であった広島駅と宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。
モニュメントからは、明治の香りが漂っています。
施設は、1910(明治43)年ごろ、軍需物資を保管するため、宇品駅のプラットフォームに沿ってレンガ造りで建てられました。
倉庫らしい重厚な扉。
爆心地から離れていたため、原爆の被害はほとんどなく、傷ついた大勢の被爆者はこの付近の陸軍の関連施設に収容され、手当てを受けました。
戦後は、日本通運株式会社に払い下げられ、倉庫として利用されてきましたが、1997(平成9)年、広島南道路の整備にあたり、被爆建物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして保存しています。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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