2018-08-20

気仙沼市離れて4年弱 東北生活経験し記録残す

「絆(きずな)」「船尾灯(ともしび)」。

気仙沼市でお世話になった人から、ご当地商品が届きました。

東北を離れてもうすぐ3年6カ月。前回訪れて2年がたとうとしています。

振り返ると、この間の経過はあっという間。

折しも、今日8月20日は死者74人を出した平成26年8月豪雨から4年目に当たります。

「広島は大丈夫ですか?」。

東北でテレビに映し出される映像と、被災地の人から温かいお声がけをいただいたことが今でも心に焼き付いています。

4年後に同じような出来事。全国の知人から寄せられる連絡に感謝しています。

「ビンナガマグロ」の缶詰を見ながら、懐かしさに浸っていました。

気仙沼市の生活で災害記録など数万枚、今回の水害でも6000枚を撮影しました。

時は流れましたが、今でも続く温かいご縁に感謝です。



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2018-08-19

海から島を見てみよう 無人島の世界 船から広がる

磯に陣取った太公望が、魚を釣り上げていました。

今日は島を飛び出し、海から島を見ました。

市内には、大小10個の島で構成されています。すべて訪れるためには船か島まで泳ぐこととなります。

ポツンとある小さい島は「絵の島」。
鳥山明原作「Dr.スランプ アラレちゃん」の舞台となったゲンゴロウ島。
1982(昭和57)年7月12日から8月22日まで、この島を「ゲンゴロウ島」として再現。『ゲンゴロウ島 めちゃんこ大冒険』が開催されました。

大奈佐美島では、上陸した人がマリンレジャー。過ぎゆく夏を楽しんでいました。

およそ5カ月ぶりの航海は天候に恵まれました。

海から島を見てみよう。陸上から見えない世界が船から広がりました。



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2018-08-18

木陰ゆっくり日差し速足 残暑残る道涼を求める

見上げると青い空が広がっていました。ほほを伝わる風も秋の気配。日を追うごとに季節は移り替わってきました。

海沿いの道にあるフウの木々も、アメリカフウも緑の衣装をまとっていました。

木陰が涼の場を提供しています。

夏の日差しが残る日ですが、木陰はゆっくり、日差しは速足で。残暑の残る道に涼を求めています。


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2018-08-17

いつもの場所ボッチ酒 気分休まるひととき

いつもの場所でボッチ酒。気晴らしのひとときとなりました。
一人で杯を傾けると、いろいろなものが見えてきます。
何も言わなくも、顔なじみの大将はが逸品を。
 「ふぅ~」。舌鼓を歌ながら、気分の休まる夜でした。


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2018-08-16

ちょうちん揺れる朝 旧暦の盆静かに過ぎる

折からの強い風に、紅白幕がはためいていました。

島の盆踊り会場に。同じ島でも、地域の特色が出ています。

にぎやかな盆踊りも、静かな朝を迎えました。

ちょうちんが揺れるやぐらから、静かな海が見えました。

盆踊りのあとの静けさは、旧暦のお盆も静かに過ぎていきました。


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2018-08-15

73年目の終戦記念日 平和の尊さ生きる教訓伝える

「太平洋戦争は われわれに 平和の尊さを教えたが また 生きるための教訓を 数多く残している」
1971(昭和46)年に放送された『アニメンタリー 決断』のナレーションです。

https://www.youtube.com/watch?v=u-8PatBAAdo

アニメーションとドキュメンタリーを合わせた「アニメンタリー」としてタツノコプロが制作しました。

開戦から敗戦まで、指揮官や司令官、兵士たちの重要な「決断」が雌雄を決するノンフィクションドラマでした。

当時は広島で系列局確立されていなかったため、確か・・・水曜日午後9時30分からの放送と記憶しています。

深夜に放送されるアニメを見たくて、幼心に見た記憶が残っています。

心の片隅に焼き付いたストーリーが、人生に影響を与えたと感じることもあります。

今日は終戦記念日。近くにある重巡洋艦 利根の慰霊碑に。「決断」にも登場している船です。

終戦間近の1945(昭和20)年7月24日と28日、アメリカ軍艦載機の空襲により被弾し29日に着底しました。この攻撃で、乗組員128人が戦死、旧中村、高田村合わせて17人が犠牲となりました。

慰霊碑に線香を手向け、日本酒や茶を供えていました。

国土地理院が公開している1947(昭和22)年12月25日撮影航空写真にも、撤去されずに残っている姿がありました。写真がありました。

いつも見ているカキひびカキいかだが広がる静かな海。

73年前は、重巡洋艦が横たわる姿がありました。



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2018-08-14

本願寺大瀛和上の教え 信仰心厚く盆灯籠並ぶ

「極楽の 道は一すじ 南無阿弥陀 思案工夫の わき道をすな」
旧暦の盆が近づくと、墓の周りは紙と竹でできた灯籠が並びます。
初盆の墓は白、それを過ぎると色がつきます。
このあたりは、浄土真宗本願寺派を信仰している人が多く、北陸門徒、尾張門徒、紀州門徒、石州門徒などと呼称されているひとつ「安芸門徒」と呼ばれる地域です。そのため、盆灯籠も浄土真宗本願寺派の「下がり藤」を印刷しているものが多数見受けられます。

「極楽の・・・」は、広島県出身の大瀛和上(だいえいわじょう)の歌です。

「お浄土の道は阿弥陀さまのお救いにおまかせして人間の思慮分別をまじえてはならない」という意味です。

今から200年前、本願寺で起きた宗義論争「三業惑乱(さんごうわくらん)」がありました。

1797(寛政9)年、「三業帰命説」という教義が世に出されると、大瀛和上は『横超直道金剛錍』(おうちょうじきどうこんごうへい)などを著して反論。浄土真宗本願寺派の教義をめぐって発生した大規模な紛争となりました。
江戸幕府が介入するほどの事件となり、大瀛和上が論破しました。
「安芸門徒」と呼ばれる一端でもあります。
このあたりは、毎朝欠かさずお経を唱え、法話を聞く「常朝事」が100年以上続いています。広島、呉も近く、敵機の空襲があると法話の最中に境内の防空ごうに避難することもありましたが、「常朝事」は戦時中も一日の休まないほど、信仰心が強い地域でした。

灯籠が並ぶ光景、盆が来ました。


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