2019-03-21

「欽ちゃんの9時テレビ」出演夢見た16歳 誕生日期に振り返る

今日3月21日、55歳の誕生日を迎えました。


すでに、人生の折り返し地点を過ぎましたが、その昔、人生を夢見たころがありました。

「東京都新宿区市ヶ谷河田町7」。今は港区台場にあるフジテレビ本社がこの地にありました。
欽ちゃんの9時テレビ オーディション

1986(昭和61)年2月に住居表示実施により「河田町」になり、「市谷河田町」はなくなりました。
フジテレビはがき

今から38年前、「欽ちゃんの9時テレビ」出演を夢見て、船に揺られ電車に乗ること3時間。廿日市町中央公民館(当時)にオーディションに出かけたことがあります。

「いやだ、いやだという人をテレビにひきずり出したい」という萩本欽一が全国に出かけ、各地の素人お笑いタレントからユニークな笑いを引き出すバラエティショーをコンセプトに制作されたテレビ番組。歌の途中に複数回鳴らされる爆発のSE「ドカ〜ン」とのセリフ付きでのリアクションを取ることが要求される「ドカ〜ンのど自慢」のコーナーに挑戦しました。
「欽ちゃんの9時テレビ」オーディションはがき

当時をしのぶものはなくなった廿日市市中央公民館ですが、会場までドキドキ感は今も心の片隅に残っています。

結果は見事に落選。つかの間の夢は、はかなく消えました。

はがきの消印は1980(昭和55)年11月。16歳のころでした。
フジテレビ 消印

当時いただいた記念品、番組名入りの鉛筆は今でも大切に持っています。
欽ちゃんの9時テレビ 鉛筆


萩本欽一と坂上二郎がコンビを組んだ「コント55号」と年齢が同じ数字になりました。
欽ちゃんの9時テレビ 鉛筆


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