「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へ行って泣く」。
今日6月27日は、日本の児童文化運動の父 鈴木三重吉(1882-1936)没後85年の命日です。
鈴木三重吉(すずき・みえきち)は1882(明治15)年9月29日、広島市猿楽町(現、中区紙屋町、現在はエディオン広島本店)で生まれました。吉田正浪比治山大学教授のレリーフが飾られています。
近くにある相生橋東詰原爆ドーム横に、円鍔勝三氏作の「赤い鳥」文学碑。「私は永久に夢を持つ。たゞ年少時のごとく、ために悩むこと浅きのみ」の碑文。肩に鳩を乗せた三重吉の胸像の台座は本を模しており、「赤い鳥」の文字と三重吉の好きだった馬が彫られています。
1905年(明治38)年、東京帝国大学を休学した三重吉は、療養のため江田島市能美町の旧下田邸に滞在。ここで得た題材をもとに、処女作「千鳥」を書き上げました。療養の地に「千鳥」文学碑があります。
冒頭の碑文は三重吉から加計正文氏宛てられた葉書に書かれていたものです。
当時、三重吉が使った井戸が100年以上たった今でも、当時の様子を伝えています。
地元の能美図書館では、今年17回目となる児童文学誌『小鳥』を発刊、掲載作品や表紙絵を募集。
能美町中町・高田-宇品航路の船も、「ニュー千鳥」「スーパー千鳥」「ロイヤル千鳥」の船名とするなど三重吉の縁「千鳥」を紡いでいます。
没後13回忌の1948(昭和23)年6月、菩提寺の長遠寺(広島市中区大手町)に墓碑が建立されました。
近くにある「千鳥」文学碑から始まった三重吉の足跡をたどる文学散歩。療養の地は没後85年たった今でも、鮮やかに当時を伝えました。
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幸か福岡かふくおかひろし
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