2019-03-11

薄れていく震災の記憶 写真見返し心に刻む

「ありがとう ドリームのうみ」。
ありがとう ドリームのうみ

気仙沼から送られた温かいメッセージが桟橋の壁に貼っていました。
ありがとう ドリームのうみ

「気仙沼大島 漁師の瓶玉」
気仙沼大島 漁師の瓶玉

お礼として贈られた瓶玉が、市内の施設に飾られています。
大島 瓶玉

東日本大震災から8年。

「ドリームのうみ」は2004(平成16)年11月25日に進水。2011(平成23)年4月27日からおよそ10カ月、25万人の乗客と5万台の車両を運びました。
ドリームのうみ

この縁がきっかけで、平成26年から1年間、現地で過ごし、人生で大きな経験をしました。

帰省して4年。気仙沼市で活躍した船も時代の波に翻弄(ほんろう)され、今は姿がありません。

定期航路で広島に行く途中、江田島沖で偶然収めた写真。撮影当時「博多湾周遊コース」の船として活躍していた「ゆーみんトマト」。
らぴゅた号

前身は、大島汽船の所有していた「はやぶさ」。丸文松島汽船から大島汽船に来て被災。その後売却され、福岡の地で活躍していましたが、2015(平成27)年11月で運航を休止。2016(平成28)年春から友ヶ島汽船株式会社(和歌山市)の定期航路「らぴゅた号」として、活躍していました。

あれから8年。船の姿とともに記憶から薄れていく震災の記憶。ときに、当時の写真を見返して心に刻んでいます。

気仙沼市を拠点に撮影した1年間の記録。ディレイですが、気仙沼市に出発する心境から滞在記録、帰省するまでホームページにまとめました。よろしければ・・・。
東日本大震災被災地歩く




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