2017-08-06

「御霊安かれ」 金輪島500人の原爆犠牲者まつる

「御霊安かれ」。石碑に書かれた文字が過去の歴史を物語っていました。
8月6日の広島は祈りの地に包まれます。

日常となっている船から広がる光景。一度も足を踏み入れたことのない島でした。
戦後70年あまり。広島市や呉市に近い立地条件から戦争遺構も多く、最近は島内残るものを記録にとどめています。

興味がある場所として、以前から行きたかった島に足を踏み入れたものでした。

金輪島は宇品港の東方約1キロにある周囲約5キロメートルの島です。

島には造船所の事業所が立ち並んでいました。

碑文は

「一九四五年八月六日、広島に原子爆弾が投下され、街は一瞬のうちに破壊し、熱線に焼かれて跡形もなくなった。市民は熱線と放射能で即死、又は全身に火傷を負って逃げまどった。そのうち約五〇〇人位が金輪島に運ばれ、暁部隊の方などに助けられ、看護を受けた。負傷者は血だらけで、手をにぎると皮がつるりとむけ、水をくださいと叫びながら、次々に恐怖と苦悶の中で息絶えたという。同年八月一五日、ついに終戦して戦火はやんだ。今日、広島は平和都市として復興し、我々は平和の恩恵を受けているが、この平和は五0余年前不幸にして戦火の中に亡くなられた方々の犠牲のうえに築かれたものである。
この碑を建てることにより、金輪島で息絶えられた方々の御霊を慰め、共々に平和を守る気持ちを新たにしたいと思う。

長いトンネルの向こうに、石碑があります。出口に向けて歩くにつれ、歴史の足音が近づいた感じがしました。

金輪島は、明治27(1894)年に陸軍の造船・船舶修理工場が造られた。原爆が投下されたとき、島には将兵や工場労働者ら約1千人がいた。島外から約500人の負傷者が運び込まれたとされるが、死者数や負傷者の行き先を詳しく示す資料は残っていない。軍需施設があった瀬戸内海の島々は軍の検閲によって写真から削除され、戦時中の金輪島も「消された島」の一つだった。現在も造船工場などがあり、80人ほど暮らしています。



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2 件のコメント:

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