茂みの中に、コンクリートで囲われた防空壕が月日の年月を物語っていました。
このあたりは、広島・暮れに近いため、今でも戦争遺構が数多く残っています。
戦後70年以上が経ち、これらが風化しているため、できるだけ記録にとどめたいという重いから、、シャッターを切っています。
ここは、飛渡瀬(ひとのせ)第二応急防空高角砲台。太平洋戦争末期、急遽作られたもの。
まだ足を踏み入れていませんが、原子爆弾投下の8月6日に、近くにある飛渡瀬第一防空高角砲台15.5センチ高角砲がエノラ・ゲイを有効射程内に捕捉し、射撃命令を待っていた場所もあります。
うっそうとした山道を歩くことしばし。
急に視界が開けました。
近くには、大きな石積みの跡が。木々が生い茂り、月日の長さを物語っていました。
ここが飛渡瀬第二応急防空高角砲台の確証は得られませんでしたが、今後も島内にある戦争遺構を捜して、記録にとどめたいと思っています。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
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