高橋里志さん(たかはし・さとし=元プロ野球投手)が1月31日、肺がんのため広島市内の病院で死去しました。72歳でした。
高橋さんは、福井の敦賀⼯から電電北陸を経て、1967(昭和42)年度ドラフト4位で南海に⼊団。1972(同47)年オフに⾃由契約となり、1年間の浪⼈を経て1974(同49)年に広島⼊り。1977(同52)年に44試合に登板し20勝14敗、防御率3.73で最多勝のタイトルを獲得しました。
1981(同56)年に佐伯和司との交換トレードで⽇本ハムへ。1982(同57)年は最優秀防御率のタイトルも獲得した。1985(同60)年には近鉄でプレーし、1986(同61)年限りで現役を引退しました。通算18年で309試合61勝61敗4セーブ、防御率4.44でした。
友人の紹介で高橋さんのお店を紹介され、通い始めて10年。突然の訃報に友人も驚いていました。
「島の様子はどう?」
半年に一度のペースで店のドアをノックしていましたが、いつも笑顔で迎えてくれました。
名刺をいただいたときは幹事でしたが、カープOB会の副会長も務められていました。
グラスを傾けながらカープ談義。タイトルを獲得したピッチャーの直球解説。切り口が違った視点は、タイトル獲得ピッチャーならでは。
ラジオから聞こえる温厚な語り口だった関根潤三さんや広島初優勝時代、テレビの画面からは物静かにベンチでかくれんぼをしていた古葉竹識監督も、放送で流れるイメージとは全く違っていたと言います。
カープ初優勝のときのキャッチャーで江夏の21球を受けた水沼四郎さんとお話しする機会があり、「江夏と匹敵するピッチャーは高橋里志」という言葉が今も心に焼き付いています。
カープ優勝の黎明期。選手とファンの違いはありますが初優勝の感動。今では煌びやかな世界となったプロ野球にない世界でした。
幾度となく店に足を運びましたが、唯一、高橋さんのサインが残っていました。もちろん、宝物のひとつに。
カープを愛した姿が今も心に残っています。今までの思い出はずっと心の中に。高橋さんのご冥福をお祈りします。
#高橋里志
幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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