2016-10-12

骨寺村荘園遺跡歩く 奥州藤原文化の光景広がる

秋の稲穂に日本の原風景が広がっていました。
思いで紡ぐ東北の旅。一関市厳美町本寺(ほんでら)地区に所在する骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)を訪れました。
東北赴任中、存在は知っていましたが、広島に帰って歴史の宝庫だと分かり、訪れたい場所でした。

このあたりは、平安時代末期から室町時代初期まで約300年にわたって陸奥国平泉中尊寺の経蔵別当領とした地域です。

中尊寺には鎌倉時代に描かれた「陸奥国骨寺絵図」2葉の骨寺村の絵図が残されており、中世荘園とほぼ同じ光景が今でも広がっていました。

文治5(1189)年、源頼朝によって奥州を支配してきた藤原氏が滅亡しました。
中尊寺経蔵別当心蓮らは志波郡陣ヶ岡に宿営していた頼朝の下に参上して、中尊寺が清衡の草創で鳥羽法皇の御願寺であること、経蔵は紺紙金銀字交書一切経を納める特別厳重な霊場であることを説き、寺の存続と寺領の安堵を求めました。
これに対して頼朝は即日にその存続を認めましたが、東は鎰懸(かぎかけ)、西は山王窟、南は磐井川、北は山の稜線を骨寺村として定めた御奉免状をくだされています。この結果、骨寺村は経蔵別当領として存続が認められることになりました。


足を踏み入れた途端、ゆっくりと流れる時間。
田園の中にあるポツンとある若神子(わかみこし)。

神社や遺跡も多く残り、中世の香り漂う世界。

絵図の世界を歩くと、タイムスリップして奥州藤原文化を独り占めしました。



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