幸か福岡かふくおかひろし
広島市の南に浮かぶ島、江田島市から情報発信。ちょいとだけ季節を先取り。酒と肴を楽しむ人生にリーチ。
2015-01-22
ワイン片手に都会気分 カメラ忘れるほど酔う
自炊生活なので、真っ当なものを口ににしたく、いつもの居酒屋に。
寂しがり屋なので、黙々と酒も進んだ。
ほろ酔い加減になって、イタリア風の料理の注文。赤ワインがよく合う。
お江戸に行ったつもりでホッピーも。唐揚を食べながら赤羽気分を楽しんだ。
店の人も都内に住んでいたので、東京談義となった。
ホッピー1本で一杯、寒いので一杯と、4、5杯いただいた。
店を出るころには、もうヘロヘロ。店にカメラを忘れるほど酔ってしまった。
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幸か福岡 ふくおかひろし
2015-01-21
「蝦夷狩」の地名 義家の時代から続く
気仙沼市周辺には,昔からの地名が残っている場所がある。
「蝦夷狩」。
前九年の役の大勝利に勢いづく源義家軍は敗走する安倍軍を徹底追撃し続け、浜里に身を隠す兵員達を此の地に集めて捕縛したと伝えられる場所。
蝦夷の名称は当時,大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方、北方に住む人々を異端視・異族視した呼称。
今でも,その地名がバス停に残っている。
このあたりには,八瀬,東山,大原をはじめとして,京都の名前もつく場所がある。京都の影響も受けている場所だという。
地名考もだんだん深みにはまっているけど・・・(笑)
前九年の役は永承6(1051)~康平5(1062)年奥羽(東北)地方の豪族安倍氏起こした戦い。源頼義・義家の父子が同じ地方の清原氏の応援を得えて平定し,東国に源氏の基盤を作った。
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幸か福岡 ふくおかひろし
2015-01-20
いつもの焼き鳥店にブラリ うれしい至福のひととき
気分転換に、いつもの焼き鳥屋にブラリ。
いつもボッチ酒でのれんをくぐるが、顔なじみとなり身の客とも話すことがある。
タレと塩とカレー味を注文。ここでは、炭で焼いている。
「福岡さん お待ちどおさま」。旅の人なのに、名前で呼ばれて出される焼き鳥は、ちょいとうれしい。
焼き鳥とはいえ、普段はまっとうなものを口にしていない。
普段、一人寂しく食べているので、うれしい至福のひと時だった。
家で黙々と食べて飲むよりも、ついついお酒が進んだ。
郷里では焼き鳥屋に行くためタクシーを飛ばすか船に乗って本土に行くしかない。
郷里ではでは帰りがけに一杯なんて、遠くてとてもとても・・・(笑)
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幸か福岡 ふくおかひろし
2015-01-19
酒ミュージアムにボッチ旅 フランク永井の歌口ずさむ
宮城県大崎市松山町にある酒ミュージアムにボッチ旅。
大崎市にある日本酒のブランド「一ノ蔵」は、昭和42(1966)年、 (株)浅見商店、(株)勝来酒造、(株)桜井酒造店、(株)松本酒造店の4社が合同で設立、現在に至っている。
松山町はフランク永井の出身地。隣接地にはフランク永井展示室もある。
施設内は、酒ができるまでの道具などを展示。
日本酒は、香りの高いタイプ、熟成タイプ、軽快で滑らかなタイプ、コクのあるタイプがあり、それぞれに合った料理もあるという。
貧乏徳利の由来では、五合徳利に一合しか買えない酒を入れ、毎日通っていたという江戸っ子の気質も垣間見ることも。
シアターでは、酒の豆知識を古事記に登場するヤマタノオロチを酒で退治したスサノオノミコト、クシナダヒメが登場し子供にもわかりやすく説明していた。
「♪そばにいてくれる だけでいい・・・」
だれももいない酒ミュージアム。
試飲はない施設だが、ちょいと酔ったつもりで、「おまえに」を口ずさんだ。
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2015-01-18
毛越寺にブラリ 雪の世界遺産独り占め
朝一番の汽車に乗って今日もボッチ旅。夜が明けるにつれ、白い景色が広がり、毛越寺の雪景色を見たくなり足を運んだ。
人生で3度目の訪問。 昨夜から降り続いた雪で、あたり一面銀世界。日中になると小雪になったが、白さが一層引き立っていた。
9時に開門。5分程度過ぎて訪れたが、一番乗りとのこと。
寺では朝から雪かき作業。木々に積もった雪が津陽風に吹き飛ばされ、容赦なく振っていた。
毛越寺は中心に大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、建造物や臨池伽藍(りんちがらん)跡がある。
普段は水面を見せている池も、一面の銀世界。
雪の大泉が池に朝日で映し出された木々の影がシルエットとなっていた。
シーズンオフのため、人影もまばら。
自分だけの毛越寺を独り占めできると感じたほど、ゆっくりと見られた。
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幸か福岡 ふくおかひろし
2015-01-17
阪神淡路大震災から20年 三陸海岸南下し被災地見る
ラジオ小僧だったので、朝は在阪ラジオをつけっぱなしにしていたが、20年前の午前6時前は広島でも震度3~4の揺れで目がさえた。
現在のように、情報の収集手段がないため、断片的な内容を放送していたことを今でも覚えている。
在阪局では、この時間になっても今でも、は震災関連番組をやっていた。
神戸は被災しても梅田は普段どおりの生活。20キロ程度の距離であまりにも違った状況にがく然しているという内容も放送していた。
今日は三陸海岸を南下。BRTの車窓から被災状況を見た。
南三陸町も震災前と現在では全く違う光景。防災庁舎も、周囲は土が盛られ以前に訪れた時と様相が違っていた。
震災報道を見るたびに観客席にいる立場に疑問を持ち、ご当地に来て9カ月。
観客席から銀幕の内側に立っている。規模の大小に関係なく被災者の状況と今後の教訓を考えてみたい。
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幸か福岡 ふくおかひろし
2015-01-16
防潮堤を越える黒い海 宮古市の現場を歩く
黒い海面が盛り上がり、防波堤を乗り越える。
宮古市役所から撮影された映画のシーンのような光景が印象に残っていた現場に足を運んだ。
宮古市での死者は519人、行方不明者は94人出している。今では、震災の傷跡も少なくなっている。
写真から防波堤の高さが分からなかったが、道路側に立つと海は見えなくなるほどの高さ。
海側は漁船が係留され、自動車も十分走れるほどの幅員があった。あの日の出来事が起きたことすら忘れさせるほど穏やかな海だった。
市役所から撮影された青い水門には、震災の傷跡も残っていた。
津波はここをやすやすと越えたのにビックリ。映像だけではわからない津波の高さだった。
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