2016-11-01

吉田治美さん亡くなり13年 番組ハガキに38年前思い出す

今日は山口県で活躍していたパーソナリティ吉田治美さんが亡くなってから13年になりました。治美ちゃんは、朝日放送を経て山口放送に入社。黒柳徹子、楠田枝里子など七色の声の異名を持った人でした。

日本テレビ系列局のアナウンス賞グランプリ受賞や「飛び出せ!全国DJ諸君」大衆賞を受賞した経歴を持ちます。

昭和55(1980)年にソロシングルの「ふられ音頭」を30万円かけて200枚制作。今でも、大切に保管しています。

治美ちゃんとは、一介のはがき職人から次第に深くお付き合いし、一献傾けるほどに。あっしの人生に大きく影響を与えた出会いでした。リスナーの中には、タレントの松村邦洋さんも。

影で応援していましたが、平成15(2003)年11月1日、山口県のスターが本当のお星さまに。享年53歳の若さでした。

13年前の今日は、葬儀の参列し、葬儀場の隅っこからひっそりとお見送りをしました。

生前「あっしごときに・・・」と聞くと治美ちゃんは「ピピピッ・・・」とくるものがあったという話を今でも鮮明に覚えています。

今から38年前、ラジオ番組「治美姫じゃ」のサイン入り村民証を今でも大切に持っています。


消印は昭和53(1978)年7月14日。


中学3年生で往復はがきの書き方も分からず、鉛筆で書いた部分を消したものに印刷された『山口治美村』村民証。会員番号は52番でした。


鉛筆のあとが、今でも残り、一生懸命カリカリ書いたことの記憶が甦りました。



治美ちゃんが亡くなった53歳にあっしももうじきなります。


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