2016-11-08

119メートルの長い廊下 達古袋小学校「大正の香り漂う」

偶然聞いた「ネットワーク探偵団」で知ったのがきっかけで訪れた場所。

思い出紡ぐ東北の旅。

木造平屋建ての横に長い建物「旧達古袋小学校(たっこたい・しょうがっこう)」を2年ぶりに訪れました。

白かった玄関は、ベージュベールをまとい、ちょいとおしゃれしていました。

2年前は鍵がかかっていたため、外からしか見ることしかできませんでしたが、今回内部が見学できることに。

旧達古袋小学校は明治5(1872)年創立。児童の減少から平成25(2013)年に閉校。校舎の約半分を公民館分館として残す予定でしたが、全長119メートルの廊下がある校舎は珍しいことから保存運動が始まり、平成26(2014)年8月24日に「なかなか遺産第一号」に認定されました。

なかなか遺産は、平成24(2012)年12月、東大生産技術研究所の村松伸、腰原幹雄両教授が共同代表となり、国際なかなか遺産推進委員会を設立。国の重要文化財や世界遺産でなくても、「なかなか~!と見る人々をうならせ、そのつながり全体を劣化させずに次世代に継承させたい遺産として認定されました。

建物に入ると119メートルの長い廊下。11月6日には、「なかなか雑巾がけ80メートル競争」)が行われ、県内外から参加した21人がタイムを競い合いました。

建物には、大正10(1921)年に作られた、達古袋農業教育協会「図書館」の看板が残っていました。

迫力のある龍の彫刻が90年以上たった今でも、鮮やかな表情をしています。

明治41(1908)年、国が「戊辰詔書」を制定したことを受けて、旧達古袋村では有志が協会の前身である「達古袋農業革新会」を設立。
大正時代に青少年の教育支援と地域の発展を願った有志が立ち上がり全国的にも珍しい法人教育機関。

大正3(1914)年に公益社団法人達古袋農業教育協会を設立。

その中、同村出身の、長野県で養蚕勉学中であった佐藤武治は、単身、文部大臣室前で座り込みをして大臣に面会、大臣の理解を得たといいます。

地域住民の教育に傾ける熱意が強く、校訓の「晴耕雨読」の教育を実践するため、達古袋村に住む青少年教育の大きな原動力となりました。

記念図書館は岩手県立図書館に先駆けて、大正10(1921)年に開館。約6,000冊の本を備え、渋沢栄一、大槻文彦、新渡戸稲造など、協会の主旨に賛同した著名人からの寄贈もあったといいます。

「晴耕雨読」の書。岩手県の郷土史家 新渡戸仙岳(1858-1949)の書が残っていました。

木造校舎の中では、大正からの香りが漂っていました。



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