30年以上通った蒸気機関車の煙が、50年以上たった今でも、当時の名残を残していました。
今日、3月11日は東日本大震災の発生から10年がたちました。宮城県気仙沼市で1年間お世話になってから7年が過ぎました。
当時は震災の傷跡も深く、復旧・復興の過渡期でした。どこも見回しても、工事の槌音が響くばかりで、高台の造成、防潮堤、被災の傷跡など、茶色の世界が広がっていました。
そのような中、JR東日本大船渡線、気仙沼駅-鹿折唐桑(ししおり・からくわ)駅、2.2キロで進められていた復旧工事の完成を見ることができました。
軌道内にある線路を取り除き、そこに専用道路として整備しバスを走らせる「BRT」。
2014(平成26)年8月から撮影を始めて7,500枚。翌年3月14日の運航開始まで追い続けました。
完成間近になると、普段見ることのできない第1気仙沼トンネルから第6気仙沼トンネルまでちょいと失礼。
1932(昭和7)年3月19日に気仙沼駅-上鹿折駅間(7.5キロ)が延伸開業し、今日まで続く歴史を垣間見ました。
2015(平成27)年3月14日、工事が完了しまだ夜が明けきらない午前5時30分から運行開始となりました。
あれから10年。ご当地から漏れ伝わる話では、町の様子が変ったと聞きます。
島の生活で目にすることがない列車を追い続け6カ月。
気仙沼市で1年間の生活で聴いた小さな小さな復旧の槌音でした。
人生の足跡として、東北での被災記録をまとめています。よろしければ。
幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
コメントは、当方で確認して公開します。
0 件のコメント:
コメントを投稿