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2025-01-17

阪神淡路大震災から30年 生活で災害もっと見つめる

遠赤外線の暖かさが体の芯まで伝わりました。


阪神淡路大震災は、発生から今日で30年を迎えました。

当時も朝からラジオを聴くのが日課。高槻市から発射された電波を受信していました。ラジオから地震のアナウンス。その後、このあたりでも震度3、震度4の揺れを感じました。
日々伝わる様子が今でも心に焼き付いています。

都市伝説となっている7月5日の大災難。WEB上でまことしやかにささやかれています。


日常の災害準備として井戸水を使い、まきで風呂をわかしています。


まきでご飯を炊いたり、広大な休耕地を利用した簡易トイレも想定。


いつ起こるかわからない災害のシミュレーションをしています。

火が燃える音は心が癒されます。そろそろいい湯加減でしょうか。



今でも、ちょいとだけ昭和の生活。災害をもっと見つめた一日でした。

#遠赤外線 #阪神淡路大震災 #ラジオ #2025年7月5日 #大災難 #災害 #まき #休耕地 #シミュレーション #昭和 #生活 #江田島市


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2024-03-11

東日本大震災から13年 10年前の暗い町並み振り返る

たそがれどきの港町。久しぶりに10年前の写真を振り返りました。

東日本大震災から、今日で13年が過ぎました。

写真は、10年前の4月に、標高239メートルの安波山中腹から撮影した光景。
かつて気仙沼市にいたフェリーの一隻は、広島県で活躍しています。月日の流れに社会の流れも速いものです。

1年間被災地を歩き、震災を記録しました。


10年前の今ごろは、東北での生活を期待と不安で胸がいっぱいだったことを覚えています。


今夜のテレビで、気仙沼市が紹介されていました。十年一昔といいますが、住んでいたころとはずいぶん様変わり。賑わいが戻っているようです。



#たそがれどき #港町 #東日本大震災 #安波山 #被災地 #気仙沼市


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2022-03-11

東日本大震災の記録 鉄路取り軌道にBRT走る

どこまでも続く長いトンネルの向こうに、かすかな明かりが見えました。


アスファルト舗装していますが、天井はすすの痕跡。蒸気機関車が走っていたころ、国鉄時代の名残でしょうか。
JR東日本大船渡線、第3気仙沼トンネル。東日本大震災までは鉄路があり、列車が走っていました。


3月11日は、東日本大震災が発生して今日で11年。
あっしも、震災から3年後、2014(平成24)年から1年間、宮城県気仙沼市で震災復興のお手伝いをしました。

JR東日本では、軌道が大きく破損した大船渡線、気仙沼線。復旧は鉄路を取り払い、そこにアスファルトを敷き専用道路にバスを走らす、バス・ラピッド・トランジット(BRT)を採用しました。


2013(平成25)年3月2日には,気仙沼駅-盛駅(大船渡市)間でBRTの運行を開始。日ごろから公共交通機関の重要性を感じているため,在住中に,荒廃した大船渡線が復旧する様子をカメラに収めました。


その数ざっと3000枚。
2キロの区間で撮影する場所を決め、同じ時刻ごろ撮影。


被災地で生活する姿が偶然に写っていました。


当時の記録を胸に、いつか東北の地を訪れたいですね。

東日本大震災の記録をWEBで公開しています。詳しくは こちら


#東日本大震災 #記録 #鉄路 #軌道 #BRT #気仙沼 #大船渡 #JR東日本 #トンネル


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2021-03-11

気仙沼で聴いた復旧の槌音 JR大船渡線BRT工事追う

30年以上通った蒸気機関車の煙が、50年以上たった今でも、当時の名残を残していました。


今日、3月11日は東日本大震災の発生から10年がたちました。宮城県気仙沼市で1年間お世話になってから7年が過ぎました。


当時は震災の傷跡も深く、復旧・復興の過渡期でした。どこも見回しても、工事の槌音が響くばかりで、高台の造成、防潮堤、被災の傷跡など、茶色の世界が広がっていました。

そのような中、JR東日本大船渡線、気仙沼駅-鹿折唐桑(ししおり・からくわ)駅、2.2キロで進められていた復旧工事の完成を見ることができました。


軌道内にある線路を取り除き、そこに専用道路として整備しバスを走らせる「BRT」。

2014(平成26)年8月から撮影を始めて7,500枚。翌年3月14日の運航開始まで追い続けました。

完成間近になると、普段見ることのできない第1気仙沼トンネルから第6気仙沼トンネルまでちょいと失礼。



1932(昭和7)年3月19日に気仙沼駅-上鹿折駅間(7.5キロ)が延伸開業し、今日まで続く歴史を垣間見ました。
2015(平成27)年3月14日、工事が完了しまだ夜が明けきらない午前5時30分から運行開始となりました。


あれから10年。ご当地から漏れ伝わる話では、町の様子が変ったと聞きます。


島の生活で目にすることがない列車を追い続け6カ月。


気仙沼市で1年間の生活で聴いた小さな小さな復旧の槌音でした。







人生の足跡として、東北での被災記録をまとめています。よろしければ。


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2020-04-07

大震災から甦る「フェリー亀山」 気仙沼の香り乗せ瀬戸内海走る

三原港に向かって、フェリーボートが入港してきました。

船は「フェリー亀山」。もともとは、宮城県気仙沼市と沖合に浮かぶ大島を、およそ25分で結んでいたフェリーでした。
フェリー亀山

「亀山」は、大島にある山の名前。気仙沼市赴任中に乗船した船です。

現在は、三原市←→佐木島(鷺港)←→因島(重井)を結んでいます。
フェリー亀山
気仙沼 フェリー亀山

東日本大震災では、大島汽船のすべての船舶が被災。この船も、大島・浦の浜港に打ち上げられましたが、同じ年の11月1日に定期航路に甦った奇跡の船です。

昨年の今日4月7日、気仙沼大島大橋の開通に伴い、100年続いた定期航路に幕を閉じました。最終便は、奇跡の復活を遂げた「フェリー亀山」。午後7時、気仙沼・エースポートを出発し、最後の航海に旅立ちました。

昔と比べて、コスチュームも一新しましたが、面影は当時のまま。
フェリー亀山
気仙沼 フェリー亀山

平成16年ここからおよそ25キロ東、福山市にある本瓦造船の567番船として建造されました。

客室の途中に「カモメとのふれあい広場」のパネルがありました。

気仙沼市では、スナック菓子を求めて、カモメが群れていましたが、今は、パネルだけが面影を残しています。

当時のままの船室。

ガソリンスタンドの「気仙沼商会」が寄贈した温度計。

「気仙沼市観光協会」のQRコード。残念ながらサイトはリンク切れでしたが、懐かしい文字の数々。

思い出に浸りながら、船は走ります。このあたりは、潮流も早いところがある海域。
以前、気仙沼では強風で、しばらくの間船が欠航した思い出もよみがえりました。

「喫煙されるお客様へ」。あなたのモラルが三陸の豊かな海を守ります。

東日本大震災を乗り越え奇跡の復活をした船は、穏やかな瀬戸内海の風を受け、ちょいとだけ三陸の香りを乗せて第二の人生を走っています。

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