「広島へ七里 呉へ三里」の石碑が立っていました。
陸ではなくて海の距離。大柿町大君からの距離です。
昔、定期船「平安丸」が係留されていましたが、今は、その姿がありません。
1968(昭和43)年竣工の平安丸は総トン数が135t、ここから柿浦経由で呉市にある造船所製鉄所で作業する人の専用航路船として運航していました。
最盛期には毎日700人~800人を乗せて運航していましたが、2009(平成21)年に廃止。
その後は、浮桟橋の代用として使われていましたが、その姿もなくなっていました。
昔は、工場まで専用船が走っていましたが、モータリゼーションの波で今は面影も消えてしまいました。
賑わっていたことを伝える船も、今は解体されているのでしょうか。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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