2019-05-01

改元「令和」初日は倉橋島 万葉集の舞台 遣唐使船見る

朱色をした遣唐使船が、いにしえのロマンに誘っていました。
今日5月1日から元号が「令和」になりました。
改元の初日は、典拠となった万葉集を味わいに、隣の倉橋島に来ました。
広島県で最南端に位置する倉橋島は、古来長門島と呼ばれ、古来から造船、海運の盛んな島として、早くから栄えてきました。百済からの渡来人が住み着き、造船の技術を伝え、遣唐使船などの建造も行なわれ、奈良時代には既に瀬戸内海交通の要衝でした。

近くの桂浜神社ものぼりを立てて改元を祝っていました。

奈良時代736(天平8)年に遣新羅使(けん・しらぎ・し)の船がこの島に停泊したときには神社があったと伝えられています。祭神は勝負必勝の八幡三神と海上交通の平安を守護する宗像三女神。新しい元号で気分を新たに参拝しました。

その時詠まれた歌が、『万葉集』に8首載っています。

万葉集 巻きの15 3615番に大石蓑麿(おおいし・みのまろ、大石簑麻呂)「石走る 瀧もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ」と詠まれています。「岩の上を落ちる滝の音のように、鳴く蝉の声を聞いていると、懐かしい奈良の都の事が思われてなりません」という意味です。

3621番 贈答歌には「我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか神《かむ》さびわたる」
「我が生命も永らう、長門の島の小松原は、幾代も過ぎてますます神々しくなってゆくでしょう。」
という松原が、今でも桂浜に続いています。


桂浜にある萬葉集史蹟長門島之碑には8首が刻まれています。

復元され30年以上たった遣唐使船。新しい時代は万葉集の舞台を楽しみながらスタートしました。

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