加藤暠 昭和六十年本殿拝殿改修工事と刻まれた石碑が鎮座していました。
能美町中町にある中町八幡神社。神亀年中(724~729)から続く神社です。
「兜町の風雲児」加藤あきらさんは江田島市能美町出身。2016(平成29)年12月26日に逝去し、今日が3回忌となります。
3人兄弟の末弟で父親も相場師で投機の失敗から一家は離散。3歳のとき、広島市内の親戚宅に預けられ、爆心地から2キロの舟入川口町で被爆しました。
ここは、加藤あきらさんの足跡が残る数少ない場所です。
人生で一度だけ、加藤さんとお会いしたことがあります。
大きな体格に全身からみなぎるオーラ。会話はしていませんが、間近でお会いするだけで、今まで歩まれた人生が分かる人でした。
Wikipediaでは「能美島に加藤家の墓を建てるため帰郷した折には、防弾仕様の車で、屈強なボディガード付きだったという。」と書かれています。そのときは旅客船で帰ったので車もいませんし、ボディガードもいませんでした(笑)
改修された本殿、拝殿は静かにたたずみ、新しい年を迎えようとしています。
一度しかお会いしていませんが、とてもとても思い出に残る一日でした。訪れたことがある加藤家の墓は、ごく普通のもの。お会いした経緯やそのときの様子は、あっしが黄泉の国へ旅だったときの通行手形として持っていきます。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
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