2018-12-22

「西郷どん」完結 番組契機近代史跡歩きたい

「西郷どん」完結 番組契機近代史跡歩きたい

大河ドラマ「西郷どん」。帯番組のディレイ放送も終了しました。中学の歴史の授業では終盤で終わっているので、断片的な歴史を思い出しながら見ていました。

第一次長州征伐で広島城に陣を構えたとき、広島がちょうと登場しました。

テレビには登場しませんが、廿日市市大野町に第二次長州征伐の激戦地を見っけました。

長州戦争史跡「千人塚」。1866(慶応2)年6月12日幕府軍が大竹村に向かって大野村を通過した時から8月8日幕府軍が敗れて総退却するまでここで激戦が繰り返され、紀州新宮藩士橋本角兵衛ほか6人が戦死しています。
これらの戦士の墓は、この戦いで戦死した無名戦士の墓と同じところ(大頭神社の入口)に葬りました。これを千人塚と呼んでいます。

近くには「陣場」と呼ばれる検問所も。
銃器の音が新幹線の音に変わっていました。

このあたりは、下関まで続く「西国街道」の遠藤沿い、交通の要衝となっています。

広島岩国道路、廿日市市大野町宮浜温泉から大竹市寄りの上り線に「残念さん」という看板があります。

四十八坂の古戦場と残念社の看板がありました。

「命を奉げて単騎敵営に向かう 哀心願う所は只和平 惜しいかな涙を呑んで道中散る斃(たおれ)る 暮畔長に留る残念の声」

が祀られています。

同年7月9日 四十八坂を単騎で西に向かって馳せる幕府軍の騎士がいました。長州藩の兵が依田伴蔵を見つけ、銃口を構えました。依田伴蔵は、声高く「使者じゃ、使者じゃ」と叫びましたが、それと同時に銃口が火を噴き、依田伴蔵を撃ち抜きました。その武士は「残念」と言って倒れました。その後、その武士が丹後宮津藩士の依田伴蔵(よだばんぞう)で、軍使として長州軍営に赴く途中であったことが分かり、長州軍は遺憾の意を表しました。この場所は村人が依田伴蔵の戦死を悼んで祭ったものでした。

テレビでは数十分の世界ですが、第二次長州征伐の歴史資産は、廿日市市以西に至るところでありました。撮影時は意味が分かりませんでしたがようやくつながったものも。
蔵出し写真もひっくり返しながら、チャンスがあれば近代史の痕跡を求めたい。


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