2017-01-11

1月11日『塩の日』 頼山陽『敵に塩を送る』称揚

1月11日は『塩の日』。家の近くには白い塩山もあります。

永禄10(1567)年、今川氏との同盟を破棄し東海方面へ進出を企てた武田信玄に、今川氏と北条氏が武田側に塩が入らないようにしました。そこに、信玄のライバル上杉謙信から越後の塩が送られ1月11日に到着したことを、江戸時代後期の漢学者、頼山陽が称揚して有名になりました。頼山陽は「川中島の合戦」を謳った、"鞭声粛々"で有名な漢詩、「不識庵機山を討つの図」の作者。

広島出身の頼山陽記念館が広島市中区袋町にあります。

中に入ると、江戸時代後期の漢学者、頼山陽の銅像が鎮座していました。

「西の頼家、東の大槻家」と言われるように、一関市駅前には三賢人像(大槻玄沢・大槻磐渓・大槻文彦)で称えています。

大槻玄沢の次男の大槻磐渓が西国遊歴の折には、頼山陽からその才を高く評価されていました。そのような関係から、安政の大獄で刑死した頼山陽の第三子、頼三樹三郎の足跡が一関周辺には残されています。

記念館には、頼山陽の生涯をつづった年表や書などを展示。

原爆で消失した「頼山陽居室」も復元されています。

広島の中心部、繁華街も近く、この当たりはよく通っていたのですが、入ったのは初めて。
閑静な雰囲気に包まれていました。



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