2019-10-27

宮沢賢治好きがきっかけ 岩手・一関から客人広島に

タイにアジにスズキにイカ・・・数えるのが大変なほどバリエーションのある刺し盛りでした。

金曜日は、岩手県一関市からのお客さまをおもてなし。

あっしが気仙沼市に赴任中の5年前、一関市東山町松川滝ノ沢にある「石と賢治のミュージアム」が初めての出会いでした。

この場所は、詩人・童話作家だった宮沢賢治(みやざわ けんじ、1896年-1933年)が晩年を過ごした場所。

当時、この場所にあった東北砕石工場で技師をしていた賢治が、『雨ニモマケズ』と手帳に を書いた時期と重なる場所です。

その後、3年前振りの以来の再会でした。

「魚が食べたい」とのオーダーに、顔なじみの店に。

店主に「岩手県のお客さん。瀬戸内の旨いものを」とお願いしました。

「では、これ」。生きたクルマエビが出てきました。もちろん踊り食いです。

灘、伏見と並ぶ日本の三大酒処西条の酒をはじめ、朝ドラの「マッサン」ゆかりの竹鶴酒造の大吟醸に話が進みました。

瀬戸のコイワシをつまみながら日本酒をゴクリ。日ごろ、SNSでお互いの行動が分かるため、打ち解けるまでに時間は必要ありませんでした。

翌朝は、広島駅までお見送り。数時間の話でしたが、またの再会を約束。プラットホームの新幹線は次第に小さくなりました。


 広島ブログ
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am

2 件のコメント:

  1. 素敵な関係ですね〜通じあえる友。離れていても。

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    1. はい。不思議な縁が続いて、新しい出会いもありました。

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