2015-07-04

似島で後藤新平の足跡 明治からの歴史を刻む

昨年、岩手県奥州市で後藤新平の足跡を追ったが、広島市の沖合に浮かぶ似島にも足跡があると知り訪れた。

裏路地に一歩足を踏み入れれば、古い町並みが残る。沖合には、いつも乗る定期航路が走っていた。



日清戦争のとき、戦地から帰還した労働者が発生源とみられるコレラ病が広島市で流行したため、陸軍は似島に検疫所を設置することを決めた。
そのとき、後藤新平の指揮のもと、彦島検疫所(下関市彦島)・桜島検疫所(大阪市此花区桜島)と似島に整備された。


明治28(1895)年6月1日開所し検疫業務が始った。
開所直後である同年6月7日には北里柴三郎博士が、当時新型の『熱気消毒用機器』である蒸気式消毒罐の実験のために訪れた。

今でも、島のいたるところに当時の遺構が残っている。


島の一角は、後藤新平像がひっそりとたたずんでいた。
昭和10年代に製作されたが、太平洋戦争末期、軍が行った金物の供出から逃れるため、銅像を三分割して隠してあったものを、ふたたび復元したものだという。

似島は原爆投下後、検疫所は臨時の野戦病院として使用され、多くの被災者が運び込まれた場所。

島全体が、明治からの歴史を刻んでいる。


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