今日、4月18日は作詞家 有馬三恵子さんの3回忌。広島県民ならがほどんどの人が耳にしている「それ行けカープ~若き鯉たち~」を作詞しました。
「一緒に野球を観戦しませんか?」。マツダスタジアムの訪問は、先発投手のように言えば、中4年の登板。
コンコースには、過去の優勝したメモリアル写真がズラリ。初優勝のシーンは、今でも心に強く残っています。
ご一緒したのは、中国放送スポーツ中継をしていた元アナウンサー。
お会いするのは初めてですが、温かく接していただきました。
カープ黄金時代には、中国放送が5局のキー局に送り出しをしていたと言います。40年以上のラジオ小僧なので放送技術に深く造詣があるので話が膨らみました。
「有馬三恵子さんが亡くなって3年なのですね」。塩見大治郎さんが元祖「それ行けカープ」は、昭和50(1975)年8月にリリースされて以来47年間歌い続けられています。
1980年4月のRCCラジオタイムテーブルを引っ張り出しました。
広島市民球場は、年間を通して「こいのぼり」が泳ぎ、紙吹雪が舞い、トランペットの音色が響いていました。
「後楽園球場で初優勝してよかったですね」。初優勝のとき、キー局の人から言われたそうです。
「どうしてですか?」。地元ファンは疑問に思いますが。
答えを聞いて「なるほど納得」。心の一ページに書きとどめておきます。
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幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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