2019-04-23

碁石持つ気迫の表情 瀬越憲作足跡追う

碁盤に打ち込む気迫の表情がカメラ越しに伝わってきました。

能美町高田にある瀬越憲作(1889-1972)像。尾道市御調町出身の彫刻家 圓鍔勝三の作です。

本因坊秀策を輩出した広島県。当地も瀬越憲作(せごえ・けんさく)をはじめ、石谷広策(1818-1906)、三宅一夫(1885-1946)、三王裕孝九段(1940-)と多くの棋士を世に送り出しています。

瀬越憲作は1946(昭和21)年から1948(同23)年まで、日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献しました。
1945(昭和20)年8月6日に、現在の広島市佐伯区吉見園で、第3期本因坊戦第2局橋本宇太郎本因坊と挑戦者岩本薫七段の対局中に原子爆弾投下があり、対局者が被爆。瀬越憲作の三男と甥も犠牲となりました。世にいう原爆対局(げんばくたいきょく)、原爆の碁(げんばくのご)といわれる対局となりました。

原爆対局(原爆下の対局)である。後に岩本基金で建てられたシアトルの日本棋院囲碁センターの壁には、原爆投下時の局面がタイル張りで飾られている。

瀬越憲作の足跡を調べていますが、少ない手がかりを頼りに追いかけています。
瀬越姓もなく生家も残っていない中、地元の人から、若いころに私財を売り払って島から出た話を聞きました。干拓されたと聞いた場所では、今でも「瀬越」という地名が残っています。

昨日、小学5年生史上最年少で囲碁のプロ棋士にの仲邑菫初段(10歳)を破ったのが大森らん初段(16歳)は江田島市江田島町の出身。本年3月地元の中学を卒業して大阪で修業しています。今でも、棋士を生み出している地域です。

瀬越憲作も、像の先にある海原の碁盤に力強い一手を打っているのでしょうか。


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2 件のコメント:

  1. でめちゃん2019年4月24日 17:00

    江田島出身の大森さん!!頑張ってほしいですね!大森さんの祖母を知ってるので、テレビで観た時は嬉しかったです(^-^)/江田島の星ですねーこれからが楽しみですね。

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  2. 囲碁はわかりませんが、地元の人が活躍するのはうれしいですね。

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