2017-02-17

広島岩国道路付近「残念さん」 幕末の歴史街道歩く

広島岩国道路、廿日市市大野町宮浜温泉から大竹市寄りの上り線に「残念さん」という看板があります。
目立つ看板。気になっていたので、立ち寄りました。
旧西国街道に建つ残念社。

四十八坂の古戦場と残念社の看板がありました。
「命を奉げて単騎敵営に向かう 哀心願う所は只和平 惜しいかな涙を呑んで道中散る斃(たおれ)る 暮畔長に留る残念の声」
が祀られている。
慶応2(1866)年7月9日 四十八坂を単騎で西に向かって馳せる幕府軍の騎士がいました。これを見た長州軍は戦闘員と勘違いし狙撃。その武士は「残念」と言って倒れました。その後、その武士が丹後宮津藩士の依田伴蔵(よだばんぞう)で、軍使として長州軍営に赴く途中であったことが分かり、長州軍は遺憾の意を表しました。この場所は村人が依田伴蔵の戦死を悼んで祭ったものでした。


近くには、古蹟 吉田松蔭腰掛の岩があります。

「親思う心に勝る親心、今日のおとずれ何と聞くらむ」の一首を残して護送される途中、吉田松蔭は西国街道で当時は難所とされた八坂峠のこの岩に腰をかけて、遥か故郷の島である大島(周防大島)を望みながら父母の恩愛に感激し「この場こそ、三県一望の地である」と故郷にも別れを告げた場所であると言われている。

幕末の歴史街道を歩いた一日。いつも見慣れている瀬戸内海。吉田松陰はどんな思いで見たのでしょうか。



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