2015-07-06

「百済王のカブト」 彼の国が難癖つけるかも

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決まった。日本を目の敵にしている彼の国は大喜びのようだがいやはや・・・。

宮城県登米市に「百済王のカブト」がある。

今回世界遺産となった「百済歴史地区」の時代だった百済国斉明王が、中国地方の豪族大内氏の祖とされる第2王子琳聖太子に与えたもの。山口県多々良浜に渡米してから、大内氏の転居とともに各地に渡り、天保元(1644)年にこの地に移ってきたものと伝えられている。

山口県下松市の地名は、推古天皇のころ松の木に大星が降り、7日7夜光輝き「百済の皇子がこの地へやって来る」というお告げがあった3年後、百済からやってきたのが琳聖太子。このことから「星が降った松」が「降り松」、「下松」となった説や、百済の琳聖太子が渡来し、以来百済との交易が開けたことにより、百済と貿易する港、百済津(くだらつ)が「くだまつ」となり、「下松」の説もある。

今でも、朝鮮半島の交流を残す地名もあるが・・・。

現在では、登米市内にある八幡神社に奉納。
境内の入り口にある鳥居もシンプルなもの。
境内から振り返ると、登米平野が広がっていた。

カブトの実物を見ることができなかったが、中国地方に縁のある品物が東北にあることに驚いた記憶がある。

いまだに、対馬で盗まれた仏像を返還しない国が「百済王のカブト」を知ったら、「日本に取られた」と、難癖つけられるかもしれないから気をつけないと・・・(笑)


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