2020-02-08

歴史の証人「広島陸軍被服支廠」 峠三吉『原爆詩集』掲載 解体か存続か揺れるヒロシマ

一世紀以上経過した建物は、時が止まっていました。

広島市南区出汐にある広島陸軍被服支廠に来ました。1905(大正2)年に完成した陸軍被服支廠は、当時として珍しい鉄筋コンクリート造りにレンガを組み合わせた建造物です。

戦前、軍服などの製造に使われていた広島市の「旧陸軍被服支廠」は、原爆の惨状を伝える代表的な被爆建物の1つで、4棟あるうち3棟を広島県が所有、1棟を国が所有しています。

広島県は、代表的な被爆建物の1つ「旧陸軍被服支廠」について、老朽化などを理由に大部分を解体する方針案を示していますが、被爆者などの反発の強まりを受け、当初予定していた新年度からの事業の着手は、見送る方針を固めました。

当時はコンクリートの価格が高く、鉄筋も輸入品でした。広く普及したのが1923(大正12)年の関東大震災以降で、鉄筋コンクリートの建物としては国内有数の古さです。当時、レンガの基礎は木材が主流でしたが、鉄筋コンクリートと併用された造りも珍しいものです。

爆心地から2670メートル。被爆直後は臨時救護所となり、避難してきた多くの被爆者が次々と力尽きました。

歴史の証人は原爆の爆風で曲がった鉄の扉が現在でも残っています。

写真は、今から3年前に公開された建物の内部。これ以降、内部の公開はしていません。

2階は、スポットライトのように光が差し込んでいました。

峠三吉『原爆詩集』中、広島陸軍被服支廠を取り上げた「倉庫の記録」があります。

その日
いちめん蓮の葉が馬蹄型に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが
向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。

まさにこの場所です。
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