2019-03-24

苦楽ともにした仲 伊勢街道宿場町で再会

「カンパーイ」。
久しぶりの再会に奈良県宇陀市に来ました。
当地に住んでいた人が、宇陀市で勤務しているので会いに来ました。

宇陀市は、長谷寺、室生寺と伊勢に続く伊勢街道の宿場町として栄えた昔の街並みが、残されています。
30年あまり前、人生で一度だけ近鉄特急で通過した場所。降り立つとは思いませんでした。

当地に在住しているときは、苦楽を共にした仲。
トラブルが発生しましたが、差し伸べられた救いの手に喜びのあまり、抱き合って泣いたこともありました。

グラスを傾けるたびに出てくるのは当時の話題。

久しぶりの再会は、時間の経過を忘れるほどでした。

今月いっぱいで、この地を後にします。


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2019-03-23

滋賀、京都、奈良 再会の旅

3月22日から24日まで、滋賀、京都、奈良の旅をしました。
再会の旅と銘打ち、滋賀は35年ぶり、奈良には実に43年ぶりの訪問。
新大阪で降り、新快速で京都に向かう途中、滋賀県在住の小学5年生などを対象にした学習船 「うみのこ」に会いに二駅ほど乗って大津市に来ました。

「うみのこ」は近所にある中谷造船株式会社(本社 江田島市能美町)で建造。近所で建造された船は残念ながらドック入りでした。

琵琶湖のほとりをブラリ。

「そういえば・・・」と、以前呉市で勤務した人が琵琶湖のほとりで勤務していることを思い出しひさしぶりの再会。10年近い時が経っていましたが、変わっていませんでした。

歴史好きなもので、その後京阪に乗って途中下車。大津市を皮切りに再開の旅がスタートしました。



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2019-03-22

雲に見え隠れ満月昇る 強弱つけて海照らす

東の空から赤い月が昇ってきました。

3月21日は満月でした。

朝から日中まで雨で、午後から次第に青空がのぞきましたが、曇り空の月の出でした。


強弱をつけて海を照らす月光。海から出ていた杭も影を落としていました。

浜辺に強い波が寄せていました。沖合いと比べて浜辺の月光がにじんだ夕方でした。


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2019-03-21

「欽ちゃんの9時テレビ」出演夢見た16歳 誕生日期に振り返る

今日3月21日、55歳の誕生日を迎えました。


すでに、人生の折り返し地点を過ぎましたが、その昔、人生を夢見たころがありました。

「東京都新宿区市ヶ谷河田町7」。今は港区台場にあるフジテレビ本社がこの地にありました。
欽ちゃんの9時テレビ オーディション

1986(昭和61)年2月に住居表示実施により「河田町」になり、「市谷河田町」はなくなりました。
フジテレビはがき

今から38年前、「欽ちゃんの9時テレビ」出演を夢見て、船に揺られ電車に乗ること3時間。廿日市町中央公民館(当時)にオーディションに出かけたことがあります。

「いやだ、いやだという人をテレビにひきずり出したい」という萩本欽一が全国に出かけ、各地の素人お笑いタレントからユニークな笑いを引き出すバラエティショーをコンセプトに制作されたテレビ番組。歌の途中に複数回鳴らされる爆発のSE「ドカ〜ン」とのセリフ付きでのリアクションを取ることが要求される「ドカ〜ンのど自慢」のコーナーに挑戦しました。
「欽ちゃんの9時テレビ」オーディションはがき

当時をしのぶものはなくなった廿日市市中央公民館ですが、会場までドキドキ感は今も心の片隅に残っています。

結果は見事に落選。つかの間の夢は、はかなく消えました。

はがきの消印は1980(昭和55)年11月。16歳のころでした。
フジテレビ 消印

当時いただいた記念品、番組名入りの鉛筆は今でも大切に持っています。
欽ちゃんの9時テレビ 鉛筆


萩本欽一と坂上二郎がコンビを組んだ「コント55号」と年齢が同じ数字になりました。
欽ちゃんの9時テレビ 鉛筆


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2019-03-20

めしべ吸うと甘み レンゲの花春を知らせる

春の日差しに向かって、レンゲが花を咲かせていました。

水稲を作っている田にまいた種が、ところどころ緑の島となっていました。

春の訪れを知らせるピンク色。

花によって、季節の訪れの速度が違っています。

幼少期のころ、花弁をとってめしべを吸ったほど、かすかな甘みがあります。

まだ、ミツバチの羽音はありませんが、そろそろ現れるころでしょうか。


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2019-03-19

鈴木三重吉文学碑 通じる道雨に光る

梅の花が春の雨で濡れた朝を迎えました。

家の近所にある小説家・児童文学者 鈴木三重吉文学碑を訪れました。

鈴木三重吉は、1905(明治38)年、静養のためこの地で過ごしました。この間に『千鳥』の題材を得ることになります。

当時の屋敷はなくなりましたが、井戸は現在も残っています。

「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へ行って泣く」の碑文。

文学の坂道は、雨に光っていました。


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2019-03-18

指ではじくと白い胞子 ツクシ生え季節の足音

今にも胞子が飛び出しそうな胞子のうでした。

近くの路地に、ツクシが生えていました。

胞子が飛んだもの、これからのものもありました。

開いていないものを指ではじくと、白い胞子が飛びました。

すでに、名残りの光景も。季節が後戻りする日もありますが、季節の足音は聞こえていました。



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