トピックス

2018-07-31

段ボール箱に即席の案内 豪雨後の混雑伝える

「← 広島-呉-松山」「似島→」。夜の宇品港。
自動ドアを過ぎると、ここから島しょ部を結ぶ定期航路の行き先が書かれていました。

段ボール箱に貼られた即席の案内。平成30年7月豪雨後に作られたものです。

ここからは8航路の船が行きかっています。


「広島-呉8時15分発臨時便」をはじめ、多くのプラカード。


呉市との陸上交通が寸断された直後は、積み残しが出るほど海路で向かう人がいました。


広島-江田島-呉に乗り継ぐ人も。テーブルに置かれていた時刻表。手書きで書かれていた料金が、当時の混雑を伝えていました。



夜の宇品港。広島と松山を結ぶ船が、静かにエンジンを休めていました。


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2018-07-30

一時保管場所がれき分別 復旧作業も徐々に進む

夕方の空に、ショベルカーがシルエットとなっていました。

市内にある一時保管場所もがれきが分別されて積まれています。

このあたりでも、復旧作業も徐々に進んできました。



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2018-07-29

強い風なく夕方は青空 振り回された台風12号

一滴の滴が青空を映し出していました。

台風12号接近でこのあたりは午前9時過ぎから雨が降り始めました。広島県央部を通過したため強い風もなく、夕方には青空が広がりました。

避難のため江田島湾に避難していた起重機船「さんこう」。空気が雨に洗われ遠くからでもはっきりと姿が見えました。

三週間あまり雨が降らなかったので、カラカラの天気。程よいお湿りにミカンももう色づきはじめています。

平成30年7月豪雨のあとに襲来する台風のため、昨日は広島県知事が異例の避難呼びかけ。

広島湾の夏の風物詩、昨年も約44万人を繰り出した「広島みなと夢花火大会」も昨日午後に約1万発の花火がが水入りに。
マツダスタジアムは、広島対DeNA12回戦が通常どおりに行われるなど、台風12号の接近に振り回されました。



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2018-07-28

「天応・小屋浦」青いシート 対岸から被害状況見る

地上デジタルテレビのある標高593メートル絵下山の中腹が、平成30年7月豪雨で深く削れていました。

対岸にある江田島町切串から、テレビで中継されている「呉市天応」「坂町小屋浦」が海を挟んで広がります。

天応は、セーラー万年筆発祥の地。現在でもセーラー万年筆天応工場や2000 (平成12) 年7月にオープンした「呉ポートピアパーク」がある地域。

小屋浦は、昭和シェル石油広島油槽所があります。

対岸からは、テレビで放送されているような状況が確認されませんが、山肌が深くえぐれている場所も。
遠くから見ると、被害の大きさが分かります。

広島-呉-松山を結ぶスーパージェットが走っていました。陸上交通が寸断されたときは、重要な交通手段になりました。
その向こうに、茶色い地肌や青いビニールシートが見えました。。
呉市天応の町並みに交じって被害の様子を物語っていました。

明日、台風12号が中国地方を横断。このあたりも避難所を開設しました。


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2018-07-27

起重機船「さんこう」江田島湾入り 一足早く台風12号準備か

津久茂瀬戸を起重機船が江田島湾に入ってきました。
広島市南区に本社がある日興産業が保有する起重機船「さんこう」5011トン。

1921(大正10)年ごろ、イギリスのコーワンズ・シャルドン社で製作されたものを輸入しました。建造当時は世界最大の起重機船でした。

主に呉海軍工廠で使用され、戦艦「大和」の建造では、ウインチの増設、ジブの延長などの改造を受け、主機や装甲板の据え付けを行いました。

終戦後は、艦船の解体作業に関わった後、1952(昭和27)年からは三菱重工業広島製作所で使用。

御年100歳近くになります。

ひき船「東興丸」が後進しながら運んできました。台風第12号接近のため、避難してきまた模様です。

カキいかだの横を、ゆっくりと進んでいます。

対岸の江田島町津久茂の街並みを横目に、波が穏やかな場所まで移動していました。

陸上から遠く離れた海の上、アオサギは何事もなかったかのように立っていました。


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2018-07-26

600メートルで2カ所の道寸断 約21キロかけて大回り

いつも、カメラ片手に夕日を追いかけている島の北西部。
この道も、平成30年7月豪雨で道が寸断されました。
目印は、黄色い道路標識と、カーブミラー。

https://www.google.co.jp/maps/@34.2457383,132.3869944,3a,75y,34.12h,69.89t/data=!3m6!1e1!3m4!1s5j1l9LZdqC9SbkAWhsqRAA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@34.2479994,132.3856731,3a,75y,123.54h,78.79t/data=!3m6!1e1!3m4!1sIqnBel9FShfiHo8zOeUP4g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja



この間600メートルが通れないため、約21キロ、30分かけて大回りします。

主要道が寸断され、豪雨直後は海路しか交通手段のない地域もありました。
https://fortunehills.blogspot.com/2018/07/blog-post_8.html


大雨で道の下にある土砂が流され、陥没した様子。
黄色い標識の陥没は、10メートル以上ありました。

2カ所とも路線バスやデマンドタクシーが通る地域。
たかが600メートルですが、島の生活にとっては生命線ともなる600メートルです。

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2018-07-25

天井の水滴夜空のように輝く 長瀬隧道水残る

トンネルの天井ついた水滴が、夏の夜空のように瞬いていました。
能美町中町松ケ鼻にある全長98.7メートルの通称「長瀬隧道」。
県道36線沿いにあるこのトンネルも、平成30年7月豪雨で雨水がたまっていました。

1944(昭和19年)に完成。父親の話では、近くに重巡洋艦「利根」が停泊した太平洋戦争の末期、トンネルには当時貴重品だった「砂糖」などの物資があったと言っていました。

向こうには、車の姿も。県道36線沿いに里の駅があり、車の往来も頻繁にある場所です。

明らかに湿気が多いトンネル内。水を歩く音が坑内に響きます。

反対側には、土砂が水をせき止めていました。
あれから20日近くたっても、水が残っていました。

人通りが少ないトンネル。久しぶりに足を踏み入れました。



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2018-07-24

白い姿初夏の海 カキ幼生つるされる

初夏の白い姿が、青い空に広がりました。

毎年この時期、夏にう化したカキの幼生(赤ちゃん)は約2週間海中を漂う浮遊生活を送る性質を利用して、ホタテ貝の貝殻を海中に入れ、約0.3ミリの幼生を付着させます。


これを、抑制棚「カキひび」に移動。潮位が大きい瀬戸内海では、潮が干くと海から出るため、カキの成長を抑制し、環境の抵抗力を付けています。

沖合から小船で運ばれるカキがつるされていました。食卓に上るのは、2・3年先。

昨年は閑散としましたが、今年の白い姿は期待できそうです。

平成30年7月豪雨の爪痕が残る中、冬の味覚の準備で額に汗を流していました。



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