「♪京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 」
五条大橋の西詰には、京人形風に作られた「牛若丸と弁慶の石像」が建てられています。
諸説ありますが、今日6月15日は、武蔵坊弁慶(?-1189)が文治5年閏4月30日〈1189年6月15日〉)に亡くなったとされる日です。
諸国漫遊旅をしているうちに、武蔵坊弁慶のゆかりの地を訪ねていました。
松江市本庄町にある出生の地。
弁慶の母弁吉は、和歌山県田辺市の生まれでしたが、縁あって長海の里に来て、1151(仁平元)年3月3日弁慶を生んだといいます。
住んでいる島にも弁慶の言い伝え。沖美町是長にある入鹿(いるか)海岸は、弁慶岩が鎮座しています。
武蔵坊弁慶が、宮島にある海抜530メートルの弥山山頂から、沖の平家軍船に目掛けて投げたところ、力余ってここまで届いたと言われています。
弥山からは赤く指さしているあたり。とてつもなく遠く投げたものです(笑)
藤原秀衡(1122-1187)のもとへ身を寄せていましたが、秀衡が死ぬと、子の藤原泰衡(1155-1189)は源頼朝の圧力に屈し、義経主従を衣川館(現在の高館義経堂)に襲った(衣川の戦い)。
「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」
遺骸をこの地に葬り五輪塔を建て、俳人、中尊寺の僧となった素鳥の詠んだ石碑が建てられています。
幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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