瀬戸内海の斎灘、豊島の南約6キロにある、芸予諸島 斎島(いつき・しま)を訪れました。
周囲約4.3キロ、北側の平地には集落があり10人あまりが暮らしています。
呉市豊町久比から三角島を結ぶ1日5往復の定期航路。島と島を結んでいます。
最大片道460円の運賃で生活航路を維持しています。
久比から船に揺られること30分。豊浜大橋を過ぎると斎島が姿を現しました。
肩を寄せ合うように小さな集落の近くに港があります。
斎内親王から幣帛を賜ったという伝承が斎島の由来となっています。1588(天正16)年豊臣秀吉の海賊停止令の中では「伊郡喜島(斎島)では海賊行為を禁止したにもかかわらず、まだ出没している」と名指しされており、伝承によると当時の島民は秀吉により虐殺されたと伝承されています。
本土からの水道管がないので、毎週金曜日、船で水を運んできます。
いつよりか 沖の小嶋に跡垂(あと・た)りて 祀(まつ)りし斎きし 日入子(ひ・いるこ)ノ神
江戸時代の神道家、玉田永教(たまだ・えいきょう1756-1836)の歌が記されていました。
蛭児神社(ひるこ・じんじゃ)は元々斎内親王を祀る社であったと伝わっています。
寛永(1624-1643)のころ、ヒルの精霊を静めるために、蛭児の神とスサノオノミコトを祭ったのが始まり。古くから心霊の宿る島として人々の信仰を集める斎島の丘の上にあり、かつてはサイナイシンノウを祭る社であったとも言われています。海上の守護諸願の祈所として知られ、一間社流造りで、再建するとき、伊勢神宮の宮大工に造営を依頼し、宮大工が年月をかけて釘を使わず組木で建立したと伝えられています。
桟橋に戻ると、釣れたばかりのタイが発泡スチロールの箱に入っていました。
魚を近畿に送るため、島に住んでいる乗客も一人乗ってきました。
晴れていれば、四国も見える海が、霞がかかっているため大海原のような大航海気分。
「ポー」。汽笛とともに、桟橋に接岸しました。途中の桟橋に降りた乗客も、次第に小さくなっていきました。
住民十人余りの生活を守る定期船。船長が握るレバーも力が入っていました。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし email:blogger@fukuoka.am
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