放送作家の永六輔さんが、お星さまになりました。
ラジオから流れてくる声に、しばし耳を傾けていました。
そういえば・・・とゴソゴソ。
出てきたのは、今から37年前、昭和54(1979)年2月のTBSラジオタイムテーブル。
ラジオ小僧だった当事の資料を大切に保管していました。
最近、資料の痛みが激しく、デジタル化を進めていたところでした。
永さん永さん・・・。ありました。
37年前の永六輔さんはにこやかな表情です。
当時、東京では、午前11時50分から正午まで放送されていました。
近くには、青島幸雄、名古屋章と泉下の人の名前が。大山のぶ代を看病している砂川啓介も明るい表情でした。
松平康孝、秋山ちえ子をはじめとした写真もズラリ。土居まさるも、墓標に名を刻む人となっていました。
気仙沼市出身の生島ヒロシがパーソナリティを務めた、「生島ヒロシの夜はともだち☆Ⅱ(セカンド)」。この時間から埼玉県戸田市から送信されるTBSラジオの電波を聴いていました。
その昔、ニュースステーションのアンカーだったあの人も。
40年近い昔のラジオ番組を見ていると、時代の流れを感じました。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
ラジオから流れてくる声に、しばし耳を傾けていました。
そういえば・・・とゴソゴソ。
出てきたのは、今から37年前、昭和54(1979)年2月のTBSラジオタイムテーブル。
ラジオ小僧だった当事の資料を大切に保管していました。
最近、資料の痛みが激しく、デジタル化を進めていたところでした。
永さん永さん・・・。ありました。
37年前の永六輔さんはにこやかな表情です。
当時、東京では、午前11時50分から正午まで放送されていました。
近くには、青島幸雄、名古屋章と泉下の人の名前が。大山のぶ代を看病している砂川啓介も明るい表情でした。
松平康孝、秋山ちえ子をはじめとした写真もズラリ。土居まさるも、墓標に名を刻む人となっていました。
気仙沼市出身の生島ヒロシがパーソナリティを務めた、「生島ヒロシの夜はともだち☆Ⅱ(セカンド)」。この時間から埼玉県戸田市から送信されるTBSラジオの電波を聴いていました。
その昔、ニュースステーションのアンカーだったあの人も。
40年近い昔のラジオ番組を見ていると、時代の流れを感じました。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
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