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2020-05-31

「キリシタン殉教之碑」 広島にあった弾圧

「キリシタン殉教之碑」。

不用不急の外出を控えているため、蔵出し写真で旅気分。広島にある、隠れキリシタンの慰霊碑。

1年間赴任していた宮城県では、伊達政宗が積極的にキリスト教を支援した関係から、遺跡を数多く訪れ、広島でも訪れたもの。

広島でキリスト教の伝道がはじまったのは1599(慶長4)年。その後、幕府の禁令によって、キリシタンの取締りはいっそう厳しいものとなり、広島での宣教17年後最初の殉教者が出ています。

碑文には22人の殉職者が刻まれ、今日まで伝えています。
初代教会の言葉「Semen est Sanguis Christianorum」と刻まれています。「キリスト者の血は一粒の種子である」という意味です。

「キリシタン殉教の碑」は、山陽線己斐駅からおよそ700メートル。広島県民なら、カトリック校のノートルダム清心中学校・高等学校入口と言えばわかるでしょうか。



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