音戸町鰯浜の片隅に、「記念碑」と書かれた石碑がありました。
石碑には「開廓」の文字が刻まれています。
明治40(1907)年6月「開廓」。大正8(1919)年6月「建設」とあります。
昭和5(1930)年日本遊覧社が発刊した全国遊郭案内によれば、昔は関西の6大港の1つ。貸座敷は8件。娼妓は福岡県や熊本県出身者が多く85人いました。費用は午後6時から翌朝7時までの1泊が5円、短時間(1時間)2円50銭と記述されています。
石碑には、廓創設者と建設者の名前がズラリ。中には、豪商の「イルカに乗った少年」の実家と思われる名前も・・・(笑)
石碑は、街中にひっそりとたたずんでいます。
近くの高台に上がりました。昔ながらの町並みが残る地域でした。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
石碑には「開廓」の文字が刻まれています。
明治40(1907)年6月「開廓」。大正8(1919)年6月「建設」とあります。
昭和5(1930)年日本遊覧社が発刊した全国遊郭案内によれば、昔は関西の6大港の1つ。貸座敷は8件。娼妓は福岡県や熊本県出身者が多く85人いました。費用は午後6時から翌朝7時までの1泊が5円、短時間(1時間)2円50銭と記述されています。
石碑には、廓創設者と建設者の名前がズラリ。中には、豪商の「イルカに乗った少年」の実家と思われる名前も・・・(笑)
石碑は、街中にひっそりとたたずんでいます。
近くの高台に上がりました。昔ながらの町並みが残る地域でした。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
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