昭和56年(1981)年12月6日、山口放送ラジオで(本社・周南市)「治美のワッショイ日曜日」がスタートしました。
パーソナリティは、吉田 治美さん(当時31歳)。平成5(1993)年10月3日まで、12年間続く番組のスタートした日でした。
昔からのハガキ職人だったので、番組の新コーナー「素人がスタジオに来て話そう」の出演となりました。
船に乗り、電車に揺られること3時間。徳山市(当時)にある山口放送まで足を運びました。
アナブースでの放送。カフが上げられ、同日午後3時すぎ。あっしの声が山口の空に流れました。
家で録音したテープを聞き返すと、あっしの声がしっかり録音。ドキドキものでした(笑)
ラジオに出演して35年。今でも当時の音源を大切に持っています。
公式サイト幸か福岡かふくおかひろし
パーソナリティは、吉田 治美さん(当時31歳)。平成5(1993)年10月3日まで、12年間続く番組のスタートした日でした。
昔からのハガキ職人だったので、番組の新コーナー「素人がスタジオに来て話そう」の出演となりました。
船に乗り、電車に揺られること3時間。徳山市(当時)にある山口放送まで足を運びました。
アナブースでの放送。カフが上げられ、同日午後3時すぎ。あっしの声が山口の空に流れました。
家で録音したテープを聞き返すと、あっしの声がしっかり録音。ドキドキものでした(笑)
ラジオに出演して35年。今でも当時の音源を大切に持っています。
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