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2014-11-05

人生の原点探す旅 寺山修司の町を訪れる

 「えっ?」職業を言うと、ギョーカイ人とは見られない性格といわれることが多くある。

 原点は寺山修司が主催した劇団「天井桟敷」に縁のある人とお付き合いさせていただいていること。

 お会いするたびに、交流が広がり人生観も変わった。

 東北の地に来て青森も現実味を帯びてきた。自分を探しに旅として三沢市にある寺山修司記念館に行くことが現実のものとなった。

 寺山修司は小学4年から三沢市で過ごした。体も弱く、いじめられっ子だったという。いつも一人遊び。ここでの生活が寺山創作の原点とも言われている。
 あっしも、いじめられっ子たったし、体力もなかったので、僭越(せんえつ〉ながらその気持ちもわかる気が・・・。

 中学2年のとき、突然青森市の親類の家に転居する。

 三沢基地前を歩くと日本にいながらアメリカに来たのかと間違えるほど、アメリカを意識した。

 米軍関係者が多いバーのドアをノック。進駐軍キャンプで働いていた母親のはつも、こんな感じだったのかなと・・・。

 駅周辺が見渡せる高台からの風景。ここからも同じ町並みを見ていたのかな?と思いを寄せた。

 寺山修司記念館は寺山修司と親しかった粟津潔のデザインを建造。撮影はできなかったが、空間を利用した斬新(ざんしん)なレイアウトに圧倒された。

 記念館の裏にある小田内沼のほとりに、古間木小学校時代の同級生が中心となって建てられたモニュメントがある。

 本をかたどった背には「田園に死す」。

 君のため一つの声とわれならん 失いし日を 歌わんために
 一粒の向日葵の種まきしのみに 荒野をわれの処女地と呼びき
 マッチ擦るつかのま海に 霧ふかし身捨つほどの祖国はありや

 3首の短歌が刻まれたモニュメントをしっかりと心に焼き付けた。

 少しばかり長くなったが、人生で思い出に残る青森の旅だった。
 思い出の写真は3,400枚あるので、フィラーで登場するかもしれないけど・・・<(_ _)>

 カルメン・マキの「時には母のない子のように」を作曲した田中未知の企画で「寺山修司を 歌う 読む 語る」が開催されます。

 11月15日(土)16日(日) 東京・青山スパイラルホール3階で。
 興味がある方はぜひ・・・。

 http://www.imageforum.co.jp/terayama_srt/

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