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2014-07-06

郷里にゆかりのある先人 米内光政 盛岡の地で接する

 精神文化の礎を築いた優れた先人を顕彰し、遺徳をしのび、人材を輩出した盛岡を広く紹介するために設立された「盛岡市先人記念館」を訪れた。

 ここには、「武士道」の著者で旧5千札の肖像画だった新渡戸稲造をはじめ3人の記念室と、127人の総合展示室で功績をたたえている。

 その中の一人、米内光政記念室を訪れた。

 米内は明治13年盛岡市生まれ。同31年、海軍兵学校(現 海上自衛隊第1術科学校)に入学。
 昭和12年に海軍大臣、同15年に内閣総理大臣をなど歴任。
 山本五十六、井上成美とともに「海軍三羽烏(がらす)」と呼ばれている。
 日独伊三国同盟に反対したにもかかわらず、ながら、潮流にほんろうされた人生だった。

 故郷の自宅から見える施設に、米内が在学し、同じ空気を吸い、自然に接していたため人物像を知りたかった。

 故郷からは無理だと思っていたが、気仙沼市に赴任後、現実味を帯び、今回の訪れることができた。

 残念なから施設内の撮影は許されなかったが、郷里にゆかりのある先人 盛岡の地で接することができた。


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